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ユマ(は、アメリカ合衆国アリゾナ州西部ユマ郡の都市であり、ユマ郡の郡庁所在地〔"Find a County". National Association of Counties. Section=Find_a_County&Template=/cffiles/counties/usamap.cfm. Retrieved 2008-01-31.〕である。2000年の国勢調査では、人口77,515人だったが、2010年の国勢調査では93,064人にまで増加した〔。 ユマ市はユマ郡で構成されるユマ都市圏の主要市である。2008年の推計では都市圏人口が194,322人であるが〔Current Lists of Metropolitan and Micropolitan Statistical Areas and Definitions 〕、冬季にユマを居住地として訪れる者が85,000人以上いる〔 〕。 == 歴史 == ユマ市となっている地域に最初に住んでいたのはインディアンであり、その子孫達は現在ココパーおよびクェチャン居留地に住んでいる。1540年、スペイン人エルナンド・デ・アラルコンとメルシオール・ディアスが指揮する遠征隊がこの地域を訪れ、直ぐにコロラド川を渡るための自然の浅瀬があるこの地を都市建設のための理想的な場所と認めた。後にユマの渡しでコロラド川を渡った軍事的遠征隊としては、1774年のフアン・バウティスタ・デ・アンサ、1848年のモルモン大隊および1862年のカリフォルニア部隊がいた。 ユマ砦の建設に続いてコロラド川のニューメキシコ側(現在はアリゾナ州内)に町が出現した。この町は当初コロラドシティと呼ばれ、1858年にアリゾナシティ、さらに1873年にユマと改名された。 1850年代から1870代にユマの渡しは蒸気船の渡し場として、またコロラド川上下流に向かう船の停船場として知られていた。蒸気船は様々な鉱山や軍事基地に向かう乗客や機材を運んだ。現在州立歴史公園となっているユマ補給倉庫が現在のアリゾナ州やニューメキシコ州やコロラド州の大部分の全ての砦に物資を供給した。ユマは川幅が大変広いコロラド川を渡るための数少ない自然の渡しの1つだったので、新しいカリフォルニア共和国(後のカリフォルニア州)への入口としても機能した。 サザン・パシフィック鉄道が1870年に橋を架けた。ユマは1864年に郡庁所在地になった。 農業労働者のオーガナイザーであるセザール・シャベスは1927年にユマの直ぐ東で生まれた。シャベスは成人してからの人生の大半をカリフォルニア州で過ごし、ユマからは数マイル南にあるサンルイの町で1993年に死んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユマ (アリゾナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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